デビィ夫人の言葉にはその人生に裏付けされた確かな重みがあります。
表題でわかる読者さまもいるかと思いますが、日本テレビ「世界の果てまでイッテQ!」のとある放送日でデビィ夫人は人生におけるとても大事な問答を女性陣3人にしました。
それが「とても愛してくれる年収200万円の人と、愛していない年収200億円の人がいれば、あなたはどちらを選ぶか?」というものです。
TVで伝えた通りのセリフかは定かではありませんが、大概そのような趣旨の問答だったと思います。
それに対し、デビィ夫人に取り巻く女性陣3人は一様に「愛の200万」と回答しました。
あなたは愛をとりますか?
それともお金をとりますか?
デビィ夫人は「愛は消えても、200億円を稼ぐことができる人への”信頼と尊敬“はやがて愛になる」と伝えました。
ここでは、デビィ夫人の”信頼と尊敬“の問答について考察したいと思います。
“信頼と尊敬“
愛は目に見えません。
ただし、その存在は絶対的なものです。
地球上で国を問わず誰もが知っている概念です。
不思議です。
一方で、愛は信じ、尊ぶことで、なる、ことも知っています。
愛の”信頼と尊敬“。
そのまんまやん。
そうですね。
まったく考察にはなっていない記事でした。
ただ、愛しい人にプレゼントを買うのもお金が必要ですよね。
おいしいものを愛しい人と食べられるのもお金があってこそです。
それを知ってても、愛という概念は絶対的である、と信じ尊び愛をとります。
考え方を改めると愛とお金は、卵とにわとりのような関係です。
どっちが先か?
どっちが後か?
よくよく考えると”信頼と尊敬“も卵とにわとりのようです。
そしてともに目には見えません。
でも、みんな知っています。
これらすべては、人間の生活の根底にある。
ただし、この中で数値化しやすいのはお金だけです。
“愛と信頼と尊敬“は数値化がしにくいものです。
主観です。
一方で、”愛と信頼と尊敬“を集めれば、お金の数値は上がります。
客観です。
それが逆パターンの”愛と信頼と尊敬“であってもお金の数値は上がります。
いわゆる詐欺などなどは逆パターンになるかと思います。
この逆パターンで数値化されたお金が、結果悪く扱われるのです。
まとめ
お金は悪ではありません。
プロフィールの最後の方にも書きましたが、
お金は決して自らは裏切りません。
お金にはなんの罪もないのです。
でも、醜いのはそれを誤った方向に導く人間の心です。
よろしければプロフィールも見てってくださいませ。
だからこそ、”愛“と同じようにお金にも”信頼と尊敬“を持てばよいのです。

“愛“そして”信頼と尊敬“でお金をためればよいのです。